子どもの幸せを願うがゆえに

今回はちょっと真面目なお話。

先日、二日間に渡るモザンビークの青年海外協力隊(Japan Overseas Cooperation Volunteers: JOCV)の総会に顔出させてもらいました。このJOCV総会は年二回やっているらしく、ちょうど赴任して1年ぐらいになる隊員が中間報告を行います。多分20人ぐらいの人が報告を行い、どれも興味深い内容だったのですが、その中でも特に印象に残ったJOCVの話を紹介していこうと思います。一応許可を取らせていただいたので、彼の報告をほぼそのまま載せます。

彼はモザンビークの孤児院が配属先で、いわゆるAt Risk Youth(家庭内暴力、育児放棄、家出などで住む場所がない子ども)やストリートチルドレンなどになってしまった子ども達の面倒をみたり、勉強を教えたり、一緒に遊んだりしてる隊員なのですが、活動していく中で一つの違和感を覚えます。

それはモザンビークでの大人と子どもの関係。日本では、大人(例えば教師、孤児院の職員)は子どもの為に働く。その労働の対価として給料をもらう。これがモザンビークではどうか。モザンビークでは子どもは大人のために働かないといけません。

大人は、①子どもを自分のために働かせ、②子どもの願うことを聞いてあげず、③子どものものを盗ります。孤児院でも同じだそうです。具体的に言うと、①自分のシャツとかが汚れると子どもに洗わせる、②(すみませんここ度忘れしましたが、子どもの望みは基本的に叶えてあげない的な感じでした)、③子どものために寄付されたものを、大人がまず良いものを抜き取る、ということになります。このJOCVは最初、これはおかしい、孤児院の職員の態度を変えていかなければいけない、と行動しました。

子ども達はいつまでも孤児院にいられるわけではありません。ある程度成長し、両親でなくても親戚が引き取れるようなら、孤児院から卒業していきます。このJOCVと仲が良かったある少年は、孤児院に来たときは暗かったのですが徐々に明るさを取り戻し、晴れて家族のもとに戻ることになりました。孤児院からのプレゼントとして、制服と文房具を贈り、少年は家に帰って行きました。

家族(乃至親戚)のもとに戻った子ども達のフォローアップも大事な仕事です。前述の少年が家族のもとに戻り、3ヶ月後に、このJOCVは家庭訪問を行いました。昼間に家を訪れると、家族の人が出てきて、「今ちょっと取り込んでるから、夜また来てくれ」とのこと。悪い予感がしつつも、彼は夜に再び少年の家を訪れます。

滅多に来ない車の音を聞きつけ、少年は家を飛び出してきます。しかし再会を喜び間もなく、少年は大粒の涙を流しながら号泣。孤児院に戻りたいと頼みます。話によると、少年は家族の生計を助けるために昼はお菓子を売り歩いており、学校に行きたいのに行けず、制服及び文房具は売り払われてしまったと言います。

これ、さっき出てきた①、②、③に当てはまるのです。つまり、①生計のためにお菓子を売り=大人は子どもを働かせる、②学校に行きたいのに行かせてもらえない=子どもの望みを叶えない、③制服と文房具を売り払う=子どもの物を盗る。つまり、JOCVが孤児院で感じた違和感は、モザンビークの世間一般に通じてることである(社会常識である)ことを感じたわけです。

少年を孤児院に連れて帰りたいのは山々でしたが、学校に行けないぐらいの理由では孤児院では引き取れない(それで引き取ってたら孤児院がすぐに満員になってしまう)。JOCVは泣く泣く車のドアを閉め、少年を置いて帰路につきました。

この出来事以来、彼は一つのことに気づき始めます。それは、子ども達は2タイプに分けられる、ということ。つまり、さっき言ったような大人の言うことをちゃんと聞ける子と、大人に反発していまう子。モザンビークでは、反発してしまう子は要は社会に適応できない子、ということになってしまう。JOCVがいくら孤児院の職員の態度を変えたところで、孤児院の子ども達が社会に戻っていったときに、この現実に再び直面しなければいけなくなる。

だからこそJOCVは、子どもが社会に戻ったときにこのモザンビークの常識に適応できることが、子どもの幸せに通じると考え、孤児院で子ども達に敢えて厳しく接するようになります。もちろん常に厳しくするわけではなく、遊ぶときは楽しく遊び、でも反発する子には厳しく諭すようにしたと。

この話を聞いて本当にいろんなことを考えさせられました。

日本人や欧米人の感覚からすると、孤児院の子どもを使って洗濯をさせるなんて考えられないことだと思います。ましてや孤児院の職員が。しかしこれが現実であり、モザンビークでは普通なのです。そこで自分の感覚を通していくのか、モザンビークの感覚に合わせていくのか。どっちが子ども達の本当の幸せのためになるのかということを考えた上で、自分の感覚に反することにも目をつぶらなければいけないこともあるというわけです。

しかしこれを本当に長期的に見たら、結局悪循環が続いてしまうのかなという気もします。負の連鎖をどこかで断ち切らなければいけない。自分が子どもの頃に大人にこんなことされて嫌だったから、自分が大人になったら子どもには同じことはしないでおこう、という流れを作れるか。それはやはり教育にかかっているのでしょうか。

正しい答えは簡単には出ないと思います。そんな中で、みんな自分にやれることを一生懸命やっているんだなと深く感じました。本当にいろいろ勉強になった。自分も、自分にできないことを考えて凹むのではなく、自分にできることをやって、人々の役に立っていきたいです。 

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